大判例

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東京地方裁判所 昭和45年(行ク)70号 決定

申請人 山辺賢蔵 外八名

被申請人 東京都

主文

本件申立を却下する。

申立費用は申請人らの負担とする。

理由

一、申請人らの申立ての趣旨および理由

別紙第一記載のとおり。

二、被申立人の意見

別紙第二記載のとおり。

三、当裁判所の判断

本件申立ては、横断歩道橋架設工事の施行の停止を求めるものであるが、横断歩道橋の設置は、道路の管理者が、「交通安全施設等整備事業に関する緊急措置法」(以下緊急措置法と略称する。)にいう特定交通安全施設等整備事業の一環として、都道府県にあつては、国家公安委員会および建設大臣の指定した道路の区間内において、整備事業計画に従つて、昭和四四年度以降三か年間に実施すべきものであつて、具体的には、予算の裏付けのもとに建設事務所長がその専決処分として行なう起工の決定、都道府県知事の業者との工事請負契約の締結および業者による工事の施行という一連の行為によつて完成されるのである。

したがつて、横断歩道橋の設置自体は、もとより、地元住民を名宛人としてなされる行為ではなく、これを構成する個々の行為もまた、行政庁の内部的な手続上の行為および行政庁が私人との間に対等の立場にたつて締結する私法上の行為ないしは私人の右契約の履行行為にほかならず、いずれの点からみても、行政庁の住民に対するいわゆる高権的権力の行使に当たる行為といえないことは明らかである。しかし、横断歩道橋の設置は、もともと、道路の安全な交通の確保という地方公共団体に課せられた本来的行政目的を達成するため、地元住民に対して当該施設による利益を供与する行為であつて、前記私法上の行為も、右の行政目的達成の手段たる意味を有するものであるから、利益の供与を受ける住民との関係においては、前記起工決定と私法行為との複合した一体的行為として観念することが可能である。そればかりではなく、横断歩道橋の設置は、前叙のごとく本質的には授益的な給付行為であるとはいえ、他面住民既得の権利、利益を侵害する恐れがないとは断定し難く、侵害の性質如何によつては、公害のごとく、事後の金銭的賠償によるのでは救済の実を挙げえない場合があるのみならず、そもそも、行政庁の行なう行為であつて、しかも、地元住民の日常生活に広い係わり合いをもつものである以上、これを個々の行為に分解して行政庁の自律や私法法規の規律にゆだねるよりも、前叙のごとくこれを行政庁の一体的行為と把握して、公法的規制に服せしめるとともに、権利救済の面においても、行政事件訴訟法三条にいう「公権力の行使に当たる行為」と解してこれに抗告訴訟や執行停止の途を開くのが、高度に成長・複雑化した現代社会の実情に則して法治主義の要請を貫く所以であるのはもとより、同法が抗告訴訟なる特別の訴訟類型ないしは抗告訴訟を前提とする執行停止という特種の制度を設けた法意に適合するものというべきである。それ故、横断歩道橋の架設工事の施行の停止を求める本件申立ては、まず、その対象の点において、適法たるを失わないと認めることができる。

次に、申請人らは、本件横断歩道橋が設置される都道一四六号線(通称大学通り)の近隣に居住する国立市の住民であつて、本件横断歩道橋の設置によりその設置箇所において有していた従来の方法による道路通行権の行使が妨害されるばかりでなく、自動車の交通量と速度の増加に伴う排気ガスの増大によつて、健康の損傷、風致・美観の破壊等の損害を被り、環境権が侵害されるにいたるというのであるから、その主張の限りにおいては、一応、申請人適格においても欠けるところはないものというべきである。

ところで、本件疎明によると、次の事実を認めることができる。すなわち、本件横断歩道橋は、中央線国立駅南口から南部線谷保駅前にいたる幅員一八メートル、長さ一、八〇〇メートルの都道一四六号線が、昭和四四年一〇月九日国家公安委員会・建設省告示第二号によつて、特定交通安全施設等整備事業を実施すべき道路に指定されたところから、被申請人が、同年七月作成した東京都統合安全施設等整備事業三か年計画に従い、右道路の区間内で実施すべき学童の横断を目的とする通学路に係る整備事業として行なうものであり、当初年度中における実施は、地元住民の意向によつて取り止めとなつたが、その後、付近に存在する小・中学校の校長等から東京都知事に対し書面をもつて設置促進方の要請があり、また、国立市議会において地元住民の促進方の請願が採択された関係もあつて、国立市長から東京都北多摩建設事務所長に宛てて早急に実施されたい旨の意見具申があり、昭和四五年三月一三日には「国立の環境を守る市民の集い」の代表者と「国立高校前通学路利用児童父母」の代表者との間に設置を認める点で妥協ができ、その旨の確認書が取り交わされたところから、被申請人としては、申請人らの結成する「国立の町づくりを考える会」をはじめ一部地元住民の間に依然設置に反対する強い声もあつたが、設置に踏み切らざるをえないものと判断して、昭和四五年度の予算に本件横断歩道橋の施設費を計上し、冒頭掲記の処分を行なうにいたつたものであること、本件横断歩道橋の設置される都道一四六号線は、その両側に国土計画株式会社所有の緑地帯―同緑地帯には、申請人らの主張する大きな桜と公孫樹の街路樹が二列に植栽されている―が、また、その外側に市の遊歩道が設けられていて、道路の総幅員は、約四四メートルに及び、道路を挾んで幼稚園、小学校、中学校等があつて、相当数の園児、学童等が本件横断歩道橋設置箇所で道路を横断していること、右道路は、将来都市計画道路として幅員を四四メートルにする計画はあるが、もともと、両端に駅の存在するいわゆる行詰り道路であつて、本件横断歩道橋が設置されても、右道路が他の幹線道路に直結したり、それ自体幹線道路化する恐れはないこと、また、本件横断歩道橋は、地元住民の要望を取りいれて、延長九八メートルのプレハブ組立式で、身体障害者、老人、幼児等の利用を考慮して勾配約一五度の斜路式にし、形状の点についても大学通りの特色と景観をそこなわないようにする等設計上相当の配慮がなされていることを、一応、認めることができる。

以上の事実に基づいて判断するのに、横断歩道橋の設置は、安全な交通を確保するための施設ではあるが、もとより交通安全対策のすべてではなく、特に、都道一四六号線のごとき文教地域内の道路にあつては、かかる施設を設置するよりも、その地域にふさわしい抜本的な対策の実施されることが望ましいことはいうまでもなく、こうした観点から一部地元住民によつて設置反対運動が根強く繰りひろげられてきたとはいえ、ひとたび人身の交通事故が発生すると、その者および家族等に対して永久に回復しえない忌わしい損害を与えることに思いを致せば、前記事情のもとで被申請人が前記のごとき設計に基づく本件横断歩道橋を設置することは、これをもつて被申請人に与えられた裁量権を濫用し、ないしは、その範囲を逸脱したものとはなし難く、申請人らの挙示する緊急措置法および東京都公害防止条例、建設局長通達等は、設置の必要度の高いところから重点的に交通安全施設を整備すべき旨を定めたものであつて、緊急性を備えていない道路における交通安全施設の設置を禁止する趣旨のものとは到底解されないので、仮りに申請人ら主張のごとく、都道一四六号線においては、交通事故が多発しておらず、他との比較においても設置の緊急性が認められないとしても、そのことを理由として本件横断歩道橋設置の違法を論難することは、当たらないものというべきである。また、申請人らの憲法違反の主張も、本件横断歩道橋の設置によつて直接自動車交通量の増大を招来することを前提とするものであると解されるところ、後段叙説のごとくかかる前提そのものにおいて失当であるのみならず、所詮、その実質は、単なる前記法令違反をいうにすぎないものであるから、採用の限りではない。

また、道路通行権なるものが、当該道路の管理者に対してその違法な道路管理の是正を請求しうる意味においては、単なる反射的利益ではなくて一種の具体的権利であり、申請人らが都道一四六号線についてかかる権利を有しているとしても、横断歩道橋が前叙のごとく最善の策とはいえないまでも安全な交通を確保して人身の交通事故を未然に防止することを目的として設置されるものであることに鑑み、また、本件横断歩道橋が前記のごとき設計に基づいて設置されることに徴すれば、本件横断歩道橋の設置によつて申請人らが従来の方法で道路を通行する権利が妨げられることは否定しえないが、かかる程度の権利侵害は、住民として当然に受忍すべきであつて、司法救済に価しないものというべきである。また、申請人らの主張する健康の損傷や風致・美観の破壊等の損害は、主として、自動車の交通量の増大に伴う大量の排気ガスによつて惹起されるものであるが、自動車交通量の増大は、都道一四六号線においてもやがては避け難いところであるとしても、それは、自動車台数と自動車利用者の急激な増加によつてもたらされる必然的な現象であつて、右道路の前記のような事情のもとにおいては、本件横断歩道橋の設置と直接原因結果の関係に立つものとは断定し難く、なお、申請人らの主張するいわゆる環境権なるものが認められるかどうかについては、多分に検討を必要とするところであるが、本件においては、この点の論議を尽すまでもなく、疎明の限度においては、本件横断歩道橋の設置そのものによつて大学通りの風致・美観が客観的に害されるものとは認められず、この点の申請人らの主張もまた、排斥を免かれないものというべきである。

以上の説示によつて明らかなごとく、本件申立ては、そのいずれの点においても、行政事件訴訟法二五条所定の執行停止の要件を満たしていないものと認めるので、これを却下することとし、申立費用につき同法七条、民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 渡部吉隆 園部逸夫 渡辺昭)

(別紙)第一

申立ての趣旨

被申請人が昭和四五年四月二八日付でなした、東京都国立市東四丁目三〇番五号、同番六号先歩道上から別紙図面記載のとおりその向う側歩道上に横断歩道橋を架設する旨の処分に基く歩道橋架設工事の施行は本案判決が確定するまでこれを停止する。

とのご裁判を求める。

申立ての理由

第一序

一、被申請人は交通安全施設等整備事業計画に基く昭和四五年度の事業として昭和四五年四月二八日申請の趣旨記載地番先歩道上から別紙図面記載のとおりその向う側歩道上にかけて横断歩道橋を架設する旨の決定をし、同年六月二五日新日本製鉄株式会社との間で、請負代金約一九〇〇万円で右架設工事請負契約を締結し、同架設工事は同年九月一三日ごろすでに着工し、現に右歩道上にコンクリートを固めている段階である。申請人らはいずれも前記横断歩道橋架設予定地の付近に居住し、右架設に反対する「国立の町づくりを考える会」(約一〇〇人)から選ばれた国立市の住民であり、かつ都税の納付者である。

二、しかし、右横断歩道橋架設処分は交通安全施設等整備事業に関する緊急措置法に違背し、かつ被申請人の権限を踰越した処分であつて被申請人の公権力の行使により、後に述べる申請人らの権利を著しく侵害する違法な処分であり、かつ、違法支出行為を伴うものであるから、申請人らは被申請人に対し、昭和四五年一〇月二日右処分の取消の訴を東京地方裁判所に提起した(昭和四五年(行ウ)第一九三号事件として係属中)。

ところで前記のように架設工事がこのまま強行されるとすれば、申請人らは回復しがたい損害が生ずること明らかであるので、かような執行処分の停止を求める緊急の必要がある。

又、反面被申請人の執行を現在停止したとしても公共の利益を犠牲にする虞は全然なく後に処分の執行を不能にするものでもない。

第二処分の違法性

(一) 交通安全施設等整備事業に関する緊急措置法違反

一、被告の本件横断歩道橋設置は、基本的には交通安全施設等整備事業に関する緊急措置法(以下たんに措置法という)に基き被告において昭和四五年四月二八日実施決定がなされたものである。

二、そもそも措置法は同法第一条にかかげるとおり「交通事故が多発している道路」「その他緊急に交通の安全を確保する必要ある道路」について施設を設置し交通事故の防止を図ることをその主目的としている。

すなわち、

「交通事故多発の条件として一定の交通量における道路の交通事故発生件数を基準とし、また緊急に交通の安全を確保する必要のある道路、すなわち警察官又は私人による交通整理等により、かろうじて事故の多発化を防止している道路で歩道橋等を緊急に設置しなければならない箇所」についてのみ、これら施設の設置を義務ずけている(第五一回参議院建設委員会会議録第九号五頁―甲第一号証)。

三、具体的な歩道橋設置基準については、昭和四二年四月二七日建設省道路局長通達「立体横断施設設置要領」があつてその内容は次のとおり定められている。

「学童(幼稚園児を含む)の横断を目的とする立体横断施設は、ピーク一時間あたり横断者が百人以上、かつ、その時間の道路の往復合計交通量と横断幅員がピーク一時間あたり、横断者数に応じ図20の斜線で示す範囲内(ただし特別の場合にあつては点線で示す範園内)(甲第二号証)にある場合に必要に応じてこれを設置するものとする。」

四、ところが本件横断歩道橋設置場所における学童の横断者数は、「国立の町づくりを考える会」の調査によればピーク一時間においてせいぜい六五名程度であつて(甲第三号証の一、二)右設置基準の百名には遠く及ばないばかりか後に述べるように自動車交通量もさほど多くなく本件地帯では横断歩行者の死亡事故は皆無であり、とうてい交通事故多発地帯ということはできない。

五、被告は先に本件歩道橋設置場所における学童横断者数を自ら調査し、その数が右設置基準に満たないことを充分承知し、かつ、事故多発地帯でないことまで充分知りながら本件横断歩道橋設置を強行しているものである。(甲第四号証)

右のとおり本件処分は明らかに基準に反し、措置法が求める「事故の多発」「緊急性」の要件を完全に無視した違法な行為であるから直ちに取消さるべきである。

(二) 憲法第二五条違反および被告の権限踰越と原告らの環境権侵害

一、歩道橋の設置は、歩行者の安全を図る一つの手段ではあるが、その反面歩行者(特に老人・子供・病人)に遠回り、および坂の昇り降りの苦痛を与えるものであり、さらにそれは自動車交通量とそのスピードの増大を必然的に伴いむしろ自動車交通の渉滞を解消するための有効な手段というべきであるから、これによりいわゆる自動車公害の発生を助長するばかりでなく、設置する場所によつては歩道橋の存在自体が近辺の風致美観を害するに至る。さらにいえば、後に述べる歩行者の心理からいつてかえつて交通事故発生の増大をきたす原因ともなる。

二、したがつて被告が歩道橋の設置を決定するにあたつては当該場所においてこれらの弊害に優先する歩行者の安全の必要性、付近住民のこれに対する住民感情、とりわけ信号機の設置、自動車の交通制限等他の方法をとりえないかどうかを考慮すべく、これら手段をとりえないか、または歩道橋設置以外に方策のない己むを得ざる場合においてのみ被告は歩道橋設置決定の権限を有するものといわなければならない。

したがつて右の考慮を欠き、不必要な歩道橋を設置する処分は右権限を踰越したもので違法となり、付近住民の健康で文化的な生活を営む権利(憲法二五条)―いわば環境権―を侵害し、さらには東京都公害防止条例(昭和四四年条例第九七条)第二条所定の義務違反ともなる。

三、本件横断歩道橋設置場所は、現在学童の通学路に指定されており、そのことが設置決定をなした唯一の実質的理由であるといわれている。

ところでこの通学路は、国立市立第三小学校の通学区のうち変則的に飛地になつている地域(甲六号証の一図面の斜線部分)から通う約六五名の生徒の為に定められているものであるが、これは、本件設置場所の北側二二〇米の桐朋高校前交差点と南側三〇〇米の富士見台団地交差点の二ケ所の信号機が設置される前に決定されたものである。これら二ケ所の信号機が設置された現在では前記約六五名の生徒のうち右通学路を横断しなければならない生徒数は僅か四七名(昨年度の学童)であり、残りは前記信号機の設置された交差点を横断することによつてそれら生徒の安全は一応保障されている。従つて通学路に指定されているという事はそれだけを絶対視すべき事柄ではなく、反対にそれらを変更することも可能なのである。

さらに、昭和四六年度新しく市立第七小学校が開校される予定であり、それに伴つてなされる通学区城の変更によつて学童が前記予定箇所を横断しない可能性も充分に発生する。

また、市内全域にわたつて存在する通学路の危険度を調査した結果特にここが危険で歩道橋の必要があるというものでもない。今年七月「国立の町づくりを考える会」が行なつた世論調査によれば、市民がもつと切実に危険を感じている箇所が他に幾つもあげられている現状である。

この様に総合的考慮を欠き、他の方法をとれば容易に通学児童の安全を守りうるにもかかわらず、ただ不必要な歩道橋を架設しようとする処分は被告の権限をらん用した違法なものである。

四、さらに、本件場所は後にも述べるように自動車交通量もさほど多くなく、前記のとおり事故多発地帯とは到底いえないから横断歩道を廃して歩道橋を設置するだけの必要は全く存しない。

そして、この付近一帯は次に述べるとおり原告ら付近住民にとつて昔から快適な環境を有し、原告ら住民はこの環境を現在および将来に亘つて保持育成しようという一般感情ないし一般的意識を有している。したがつて、被告は原告ら住民の憲法二五条によつて保障された権利すなわち健康で文化的な生活を営む権利いいかえれば快適な環境を亨受し、保全する住民固有のいわば環境権を尊重しなければならない。さらに被告は前記公害防止条例第二条にいう「良好な生活環境を保全しもつて都民の安全かつ快適な生活を確保」する義務を負担することはいうまでもない。かようにその必要のない地域へ住民感情を無視しあえて歩道橋を設置しようとする本件処分はその意味で憲法第二五条に違反し、かつ、右条例にも違反して原告らの権利を侵害し違法たるを免れない。

五、本件付近一帯の環境と付近住民がこれを確保育成してきた沿革

(1) 本件架設予定地を貫いている問題の道路(通称大学通り)は、国立駅を基点に南北に一一〇〇米道巾四四米、両側の緑地帯には見事な桜と銀杏の並木が二例に植えられ、人工と自然がたくみに取り入れられた日本にはめずらしい近代的な都市美を有する街路である。

そしてこの「大学通り」は「近代的な市民社会の町づくり」のサンプルとして、まことに稀少価値のある存在である。

江戸城を中心に武士と町人の住む町であつた旧市内と農民の住む部落であつた近郊地帯が一しよになつた東京都は、都市計画不在の街だといつてよい。

近代的な都市として一応の水準に達していると思われる場所をみると、それは宮城の周辺、旧赤坂離宮の門前、明治神宮の周辺、すべて権力に関係のある場所である。関東大震災の時、東京は焼野原になり、その結果一挙に近代化されたと云われている。しかし、それはオフイス街であり、繁華街であつて実用性のみを追求し、人間に必要な自然を取り入れる事を忘れた都市づくりであつた。

そこでは都民の生活する場は、全く放置されたままであり、江戸時代からの旧き良き面影をも失つた殺風景きわまりない町となつた(いちじるしい例としては江東地区等があげられる)。この傾向は、戦後も全く同様であり、さらに産業優先政策のため、住民の生活は、ますます片すみに押しやられている。

ちなみに、東京都民一人あたりの公園面積は一平方米で欧米の十分の一にもみたない(平凡社百科事典)。

ところで国立市は、大正の末期に理想的な住宅街、学園都市を作ろうと云う発想のもとに、林野をきりひらいて新しく創り出された町である。

国立を開発した一実業家の壮大な夢が作つた町だと云う人もある。しかし、その夢を可能にしたのは、日本の資本主義の発展とともにつくり出された新しい階層「都市中間層」の存在、大正デモクラシーのリベラルな風潮など、日本の近代史の中での束の間の明るい時期と云う社会的条件があつたからである。日本ではじめての「住む人間を中心とした町づくり」のサンプルと云つても過言ではない。

日本には、かつて存在した事のない市民の集まる円形広場。遊歩道としての「大学通り」開発当初は音楽堂もあり、動物や水鳥も飼われ、街全体を公園のように構成しようとした意図が伺われる。しかし、日本には本来的な意味での市民社会は存在せず、プランの多くは定着しないままに終つた。現在残つているのは「大学通り」だけである。

それから四十数年、国立市民は大学通りを自分たちの手で育て続けた。

今日、見事な大木となり、誰もが大学通りの象徴としてたたえる桜と銀杏の並木は昭和十年頃、住民の自治会「国立会」のきも入りで住民が資金を出しあつて植えたものである。

戦後、朝鮮戦争当時、国立市民は、自分たちの住む環境を自衛するために立ちあがり、「文教地区指定」を勝ちとり、環境浄化を達成した。

こうした歴史の中で「大学通り」は国立市民にとつて「顔」とも「象徴」とも云えるような存在となつたのである。

大学通りと車との関係について述べれば、前述のように「大学通り」は遊歩道、散歩する為の道、つまり公園のような役目を果す道路であり、通過する車の便のための道路ではない。

そのため、道巾四四米の広い道路でありながら、他の幹線道路とは直結していない(前記地図参照)北は中央線国立駅、南は南武線谷保駅でさえぎられ、そこからは、せまい横道につながると云う車の通過には、きわめて不合理な構造の道路である。この為、現在でも道巾の広い割合には車の往来は激しくない。しかし幹線道路と比べて少ないと云うだけで公園道路としては、ここ数年来の車の増加は致命的である。現在大学通りの両側は青空駐車場と化している。駅前の円形広場はとうの昔にロータリーとなり、タクシーのたまり場となつた。

大学通りの象徴である並木は排気ガスの影響で、今や満足な樹は一本もなく、桜は枯死寸前である(甲第五号証の一~三)。

日本にも唯一と思われる歴史的な価値のある公園道路は、このままで行くと、ごく近い将来並木は枯れ果て、殺風景な自動車が通るだけの道路になつてしまうであろう。公園道路としての性格を保つ為には早急に車の規制を計らねばならない時期に直面している。

(2) 前述したように、大学通りは国立の「象徴」である。大学通りにみせられて国立に越して来た住民も数多い。結局、人間の生活する空間を美しく構成した街が他に無いからである。

通勤、通学、買物等の日常の往来の度ごとに、市民は大学通りの緑の環境を亨受する。又、大学通りは散歩の楽しめる道である。新緑の頃も、桜の頃も、銀杏の葉の黄金色に変る頃も、朝も夕方も、それぞれに趣きをことにした大学通りを散歩する時、市民は国立に住んでいる事の幸福を感じる。このような生活の中での自然とのふれあいは人間が人間らしく生きる為に、すなわち、心身の健康の為にきわめて必要な事がらである。公園を持たぬ国立市民にとつて「大学通り」を失つたら緑と憩いの場所はどこにも存在しない。もし、公園があつたとしても、日常、往来する道路が、そのまま公園であるというこの理想的な形は絶対に損いたくないものである。前項でも述べたようにこの「大学通り」を育てて来たのは、市民自身である。街路樹を植えたのも市民であるが、これを今日のように見事な大木にまで育て上げる為には、多くの市民たちの協力が必要だつた。

堆肥づくりや桜の毛虫退治(国立会)戦後の荒廃したグリーンベルトの草刈り、整備(渡辺昇氏)つゝじ等の植木を植える運動(新生活運動グループ)花を植える運動(くにたち花の会)私費を投じて芝生を植え、植木を植える人(山内保三氏)その他数え切えぬほどの多くの市民が永い年月をかけて育てた「大学通り」である。このような協力も、大学通りが市民にとつて「無くてはならない大切な場所」であり、だからこそ、きわめて自然に自発的に続けられて来た事を強調したい。(甲第六号証の一ないし甲第七号証の一ないし八)。

六、本件付近一帯の交通量

本件付近の交通量については、右道路が前記のとおり幹線道路でないため現在のところ車の量は別表(甲第三号証の一、二)に示す様に左程多くない。通常の幹線道路の何百分の一にしか過ぎない。かてて加えて、右道路においてここ数年歩行者の交通事故の発生は一件も見当らない。そのような事情の下において、従来の横断歩道を廃しわざわざ歩道橋を新設することはむしろ不必要なことであるばかりかむしろ害になることである。都内の他所においてはまだ横断歩道橋設置の要件を備えながら歩道橋が設置されず、学童の生命の危険が心配されているところが数多く存するが、むしろその方を優先させるべきであろう(この点は後に述べる違法支出行為の根拠でもある)。

又、本件場所附近には桐朋学園その他中、高校が点在し、右中、高生は自転車通学をする者が多く、仮りに本件歩道橋が設置されそのため自動車交通量とそのスピードとが増大すれば、それらの者の交通の不便と危険は急激に増大されることは火を見るよりも明らかである。

七、本件横断歩道橋設置による弊害

(1) 本件横断歩道橋は長さ延九八米その勾配約一五度のスロープ式の歩道橋であるが、歩道距離は八四米延長(遠回り)され(道路巾は一四米にすぎない)又、その勾配に基く労力の面からいつても原告ら付近住民およびその家族(特に老人、子供、病人)に無用の負担を与えるこというまでもない。(甲第八号証)。

(2) 本件横断歩道橋設置にともない、車の増加、スピードの増大は必然的に予想されるところである。そして本件歩道橋によりカバー出来ない近くの大学通り上の横断の危険性はさらに増加することは火を見るより明らかである。(大学通りには現在歩道橋は一つもない。)それら危険を回避するため本件歩道橋を利用させるとすれば約一一〇〇米に亘る大学通りを横断する原告ら住民の蒙る負担は現状のそれに比べはかり知れないものがある。

つまり本件横断歩道橋設置は前記のように大学通りの他の地点の危険を誘発し、これを防止するためにはさらに歩道橋の設置が必要となつてくる。そればかりか歩道橋を設置さえすれば交通事故の発生を防止ないし減少させることができると考えるのはむしろあさはかである。即ち、自動車交通量が少なく、自由に道路上を横断できる状況にある箇所、いわば横断歩道橋が本来不要な場所に歩道橋を設置しても、歩行者はすべて歩道橋を渡るとは必ずしも考えられない。

「国立の町づくりを考える会」において調査したところによると七割の人は右のような状況では横断歩道橋を渡らない、すなわち、遠回りしないで従来の道を横断すると答えている。歩道橋をつくつたため自動車は速度を増大し、まさか道路上を横断する者はあるまいと考えるのはこの場合の運転者の常であり、歩行者の心理が右のとおりであるとすれば、歩道橋によりむしろ交通事故の発生を助長することとなる。(甲第九号証)

(3) 右のとおり本件歩道橋の設置は次々に大学通りに他の歩道橋設置の必要を生じ、それにともない自動車交通量の増大と排気ガスの増加を招くことになるが、それらにより、原告ら国立住民が従来よりその手ではぐくみ育てて来た前記文教都市としての風致美観に対する原告ら住民の生活環境並に現在および将来に亘る同人らの期待的意識を侵害するものであつて、真に近代市民の文化的社会生活の場を根底から奪うものである。

すなわち、一たん本件横断歩道橋設置が実行に移されると、市民の緑地公園道路は一変して幹線道路と化し、市民のいこいの場としての生活環境は一朝にして奪われることは必至である。

いいかえれば、歩道橋が出来ることにより、車は非常に走り易くなる。そして車は今や地上にひしめき合つており、どこか通り易いところはないかと右往左往している現状だから、歩道橋のかかつた道路にはたくさんの車が集まり、スピードを上げてぶつとばすことは必然である。車の交通量がふえスピードが上ることはとりもなおさず新たな交通事故発生の原因につながる。

歩道橋のかかつた地点だけでは事故はふせげるかも知れないが、すぐそのそばで事故が続発することは間違いない。そこで又歩道橋が必要となり、またまた交通量がふえ、車のスピードが上り、交通事故が続発し、といとイタチゴツコが始まることとなる。

そのようなイタチゴツコの結末はつまりは人命の危険を増大し、排気ガスの大量増産につながつてくる。この様な現象は国立市のいわゆる大学通りを中心とした前記文教風致地区に全くふさわしくないこというまでもない。

小金井の見事な桜並木が排気ガス公害のため枯れ落ちたと同じように、この国立の名物ともいうべき桜、いちようの並木がこの一、二年の間にかなり色あせて来、中には枯れはじめた樹木もある。

これから増大する排気ガスにより、それらがいかなる運命にさらされるかに思いをめぐらすとき、原告ら心ある国立市民がどの様な気持で歩道橋設置に反対しているか、その心情は容易に理解出来るはずである。

(4) 近時とみに公害の問題が新聞等において真剣にとりくまれ、市民の間においても為政者に対する無能さにもはやたよるすべもなく、市民運動が各地に起りつゝあることは公知の事実である。国立市においてもその例外ではない。

また、被告自身、交通事故の増加をきたし、排気ガスによる大気汚染を招来し、樹木等自然を破壊するばかりか益虫を殺し、害虫を発生させる等新たな公害の要因をつくることのないよう細心の注意を払わなければならない責務があることを自ら前記東京都公害防止条例で宣言している。元来人間は自由に道路を通行する権利がある。ところが幹線道路等においては人間の通行は完全に排除され車に占拠されているのが現状である。そのため車は自由自在に走り回り、排気ガスを撒き散らし大気を汚染し樹木を枯らし、害虫等を増殖させ憲法に保証される国民の健康で文化的快適な生活を営む権利を踏みにじつている。被告も自らそつせんして国民の右の如き基本的人権を回復すべく微々たることではあるが、車の通行を一時的にせよ排除し、道路を人間のために解放する方策をとつている。そしてこのことも公的の事実である。さらに被告は学童の通行を真に保護するため通学時間等において道路より車を排し学童の通学の安全を図る、いわゆる学童天国実施の方策も現にあわせてとつている。

これらは歩行者の安全ばかりでなく排気ガス等を含め自動車による公害問題がもはや我々の生活、生命に対する限界線までせまつて来ていることを意味するともいうべきである。

それらは、今ここで何らかの手をうたなくては手おくれになるという市民のせつぱつまつた感情とこれを無視しえない被告らの方策の表れにほかならない。

つまり公害問題は現段階においては、もはや思策の時期ではなく、実行の段階まで来ているということを認識すべきである。

ニユーヨークのフイフスアベニユーに端を発した歩行者天国は、最近日本においても銀座をはじめとして各地でとりあげられているが、その歩行者天国の場のあの歩行者の喜びと安ど感は人間万才との雄叫びそのものであるが、その反面見るものに一種のあわれさを感じさせずにはおれない。それは何故であろうか。それは道路を車の専横から人間上位にやつとひきずり下し、人間本来の幸福をとりもどしたという叫びであるが、しかしわずかな道路をわずかな時間だけとりもどした結果の叫びだとすれば、むしろ人間として情ない現象とさえいわぬばならない。その歩行者天国こそ人間の真の道路の姿である。(甲第一〇号証の一~三)むしろ我々は堂々と我々の道路を車からとりもどす権利がある。

原告ら国立住民の多くはこのように考えている。

(5) 国立市の歩道橋設置反対の市民運動も実はこのような道路を人間の手にとり戻そうという単純なしかし本質的な発想から生れたものである。国立市の大学通りは、前にもふれた如く、その街路樹の美しさ、道路幅員の広さ、はたまた、大学文教都市としての知的要素、それらの綜合された美しさであり、それは都内随一、いや世界有数のモデル地区といつても過言ではない。そしてそれは、前記のとおり専ら原告らの先代を含む付近住民によつて確保され、現在および将来にわたつて原告ら住民によつて確保育成されようとしているものである。その様なモデル地区が排気ガス公害によりむざむざ消し去られることは、原告ら住民にとつて看過できないものであることはいうまでもない。

(6) 公害問題もさることながら都市計画においても都は重大な責務を負わされていることは言うまでもない。

都は公害問題にそなえて、道路交通の規制をなさなければならないことは勿論のこと、一方公園風致地区並に街路樹等を保護育成し市民の生活のいこいの場を保存し助長していくことも又急務といわなければならない。

それらに関する施策は近代都市存立の必至条件でもある。

原告ら国立市民の過半数の者は国立の大学通りを中心として文教風致区を守り世界の都市のモデル地区として保護育成していくことを着々実行に移している。

そのため近い将来この大学通りを車のとおらないいわゆる歩行者天国にしようとの構想をいだいている。国立市長自身、将来においては、大学通りの車の規制を十分配慮する旨発言している。

真正面から問いかければ被告も同じように答えるに相違ない。そうであれば本件横断歩道橋設置は無用の長物といわざるを得ない。

(7) さらにいえば、以上のような環境の場所に本件歩道橋を設置することは、それ自体付近の風致美観を害するに至る。

皇居二重橋前の祝田橋に通ずる道路はいわゆる幹線道路ともいうべく、その自動車交通量はおびただしいものである。そして馬場先門方面から二重橋に向つてこの道路を横断往復する見学者等歩行者の数も決して少くない。しかしここに歩道橋を設置しようという話は聞かないし、もし設置することになれば大きな反対がある筈である。なぜならば歩道橋の存在それ自体が付近の風致美観を害するからである。したがつてそこでは信号機が設置され、遠慮なく自動車の渋滞を看過していることは公知の事実である。本件大学通り付近一帯の環境が前記のとおりであり住民の大半が後に述べるようにここに歩道橋を設置することに消極的であるのは、以上述べた諸種の弊害を意識しているからに外ならない。

(8) 本件横断歩道橋に対する国立市民の反対意識

原告らを含む「国立の町づくりを考える会」では、本年七月二〇日から同月二八日まで国立市の有権者四〇〇人を無作為抽出して本件歩道橋等に関するアンケートをとつた。

その結果本件歩道橋を建てることに積極的な意見はわずか二六・五%にすぎず「必要ない=一二・六%、信号機をつけたり警察官に立つてもらえばいい=四一・六%、高い所を歩くのはいやだ=五・二%、うつとうしい=一二・三%」と反対意志は実に八一・七%を占めている。(甲第一〇号証Q7)さらに大学通りの自動車交通の現状すらこれを肯定する意見は六%にすぎず、車の野放し状態を制限しようという意見が九四%をも占めている。(同号証Q9)

(9) 以上の意見が示すとおり、被告は本件場所に警官を配置しまたは押ボタン式信号を設置する等これらの処置で充分人命の安全を図ることもできるし、さらには行き止まりになつている本件大学通りの交通規制、ひいては交通止めを図ることさえ被告にとつて不可能なことではない。そしてそれこそ被告の責務であるといつても過言ではない。

(10) すなわち本件歩道橋の設置決定は、これら歩道橋設置に伴う弊害ならびに住民感情を何ら考慮せず他に方法がとりうるにもかかわらず、不必要な箇所にこれを設置しようとするものであつて明らかに被告の歩道橋設置の権限を踰越し、原告ら住民の前記権利を不当に侵害する処分であるから違法たるを免れない。

(三) 違法支出行為

本件処分は約一九〇〇万円の支出を必然的に伴うものであるところ、以上述べたとおり設置の必要は皆無でむしろ、むだ遣いにあたり、納税者たる原告ら住民を侵害するものである。よつて原告らの一部の者は本年十月 日地方自治法第二四二条により右処分に基づく違法支出行為の監査請求を東京都監査委員会に提出した。(甲第一一号証)すなわち、本件処分はこの点からも違法として取り消さなければならない。(ただし、原告とあるは申請人、被告とあるは被申請人、甲第号証とあるを疎甲第号証とそれぞれ読み替える)

第三回復し難い損害

一、自動車排気ガスが害虫を増殖させ、またはこれにより樹木の枯死を促進することは前述したとおり既に立証ずみである。(疎甲第 号証)

本件歩道橋が設置されることにより必然的に排気ガスが増産され、これにより国立駅前大学通りの前記美事な街路樹が排気ガスの公害により死滅に追いやられることは火をみるよりも明らかである。

右大学通りの街路樹は国立市民が前記のとおり営々四〇余年に亘り自らの手で植樹し、申請人ら市民がそのあとを受けついで育成して来たものであつてこれを将来の市民に残そうと企図しているものであり、一朝一夕に再生出来るものでもない。これら快適な環境は前述のとおり国立市民の宝というべきものであるから歩道橋の設置により右街路樹を死滅に追いやり、直ちに風致美観を害することはまさに申請人らにとつて回復し難い損害というべきである。

従つて右損害の発生原因たる排気ガスの増大ならびに風致美観の損傷を現時点において阻止することが緊要である。

また、現在ある横断歩道を廃して歩道橋を設置すれば、自動車は当然安心して速度を増大し、自動車交通量が現状のように少い時機には、そのため歩道橋を渡らない横断歩行者について、事故の発生を助長することは前記のとおり目に見えている。

本件歩道橋の設置は前記の如く大学通りを幹線道路化し排気ガスの増大を促進し、かつ快適な環境を害するものであるから、その当然の帰結として前記のように大学通りを愛する申請人らに回復し難い損害を与えるほか、かえつて交通事故を助長して申請人およびその家族ら住民に対する危険を生じ、この危害は到底回復しうるものではない。

二、本件歩道橋が設置されるときは、被申請人の前記処分により東京都の違法支出行為が確定し、納税者たる申請人は勿論、東京都自体不当な損害を蒙るに至り、これによつて蒙る損害は到底回復し難いものであること明らかである。

第四よつて、申請人らは被申請人に対し、申請の趣旨記載のようなご裁判を求めたく本申請に及んだものである。

(別紙図面省略)

(別紙)第二

意見書

意見の趣旨

本件申立を却下する。

申立費用は申立人らの負担とする。

との決定を求める。

却下を求める理由

第一事件の経緯

東京都国立市東四丁目三〇番の五から国立停車場谷保線(都道一四六号線以下「本件都道」という。)を横断して同市同町同番の六に達する歩道橋(別紙図面参照。以下「本件横断歩道橋」という。)を設置するに至つた経緯は、以下にのべるとおりである。

一 昭和四一年四月一日、交通安全施設等整備事業に関する緊急措置法(昭和四一年法律第四五号、以下「交通安全事業法」という。)が公布施行された。

二 次いで、昭和四二年七月三一日、通学路に係る交通安全施設等の整備及び踏切道の構造改良等に関する緊急措置法(昭和四二年法律第一〇七号、以下「通学路法」という。)が公布施行されたが、同法は、前記交通安全事業法が昭和四四年三月三一日法律第九号により改正されるとともに廃止された(乙疎第一号証)。

三 昭和四三年秋頃、国立市から本件都道の管理者たる東京都の北多摩建設事務所長に対し、本件横断歩道橋の設置予定箇所(以下「本件箇所」という。)を含む五箇所に横断歩道橋を設置するよう要望があつた(乙疎第二号証の一、二)ので、東京都において現地調査したところ、本件箇所を除く四箇所は用地の取得難または基準(交通安全事業法第三条および第四条、ならびに通学路法第四条および第五条参照)に適合しない等の事情があつたので、本件箇所のみ横断歩道橋を設置することとして、その費用をとりあえず昭和四四年度の当初予算に計上した(乙疎第三号証)。

四 次に、昭和四四年七月、交通安全事業法第四条にもとづき、東京都は、東京都総合交通安全施設等整備事業三カ年計画を作成し、これを国家公安委員会および建設大臣に対し提出した(乙疎第四号証の一乃至二)。右計画においては、本件都道を横断する歩道橋一橋が設置されることとされていた。

五 右計画にもとづいて、東京都においては、昭和四四年一二月、本件箇所に横断歩道橋を設置するための「起工」(工事を施行するための決定をいう(乙疎第五号証)。)をしたが、当時、市民の一部に反対があつたため、右「起工」はとりあえず廃案とされたことがある。

六 その後、後にのべるように地元市民から前記計画に対し国立市や東京都に対して賛否それぞれの立場からの陳情があつたが、東京都においては、前記三カ年計画にもとづき昭和四五年の当初予算に再び本件横断歩道橋設置のための費用を計上(乙疎第六号証)し、昭和四五年四月二八日、本件横断歩道橋についての「起工」をした(乙疎第七号証)。

七 次いで、同年五月二二日東京都と申立外、新日本製鉄株式会社との間において本件横断歩道橋の工事についての請負契約(契約額一八、七五〇、〇〇〇円、工期は昭和四五年五月二三日から同年九月二〇日まで)が締結(乙疎第八号証)され、右新日本製鉄株式会社においては詳細設計に着手したが地元の一部市民が右工事に強く反対したので、東京都の指示により同年六月七日から七月六日まで右工事の一部を一時中止したが、設計変更および工期の延伸(昭和四五年一〇月二〇日まで)について契約当事者間に合意が成立した。この結果、設置予定地点現場においては、同年九月一三日ごろから測量が、同月二八日ごろから基礎堀削がそれぞれ開始され、現在引続き基礎工事が行なわれているのである。

一〇月五日現在、基礎工事の進渉率は約四八%である。

八 なお、本件横断歩道橋設置に対する地元市民等の賛否それぞれの立場から陳情・請願等の事情はおおむね次のとおりである。

(一) 申立外国立市立国立第三小学校長ほか四名(いずれも本件横断歩道橋設置箇所附近の学校長)から、昭和四四年一一月二六日付をもつて東京都知事に対し、児童生徒の安全通行が実現されるよう国立市東四丁目二五番先大学通り(本件都道の通称である)交叉点(本件歩道橋設置地点と同一)に横断歩道橋を設置するよう、希望条件を附して「要望書」が提出された(乙疎第九号証)。

(二) 申立外国立市長から、昭和四四年一一月二七日付をもつて東京都北多摩建設事務所長に対し、市議会で横断歩道橋設置についての請願が採択された事情もあるので早急に歩道橋が設置されるよう意見具申があつた(乙疎第一〇号証)。

(三) 昭和四四年九月ごろから同年一二月ごろまでの間に、地元市民から国立市議会に対して、横断歩道橋設置促進の請願が三件あり、また反対の請願が二件あつた(乙疎第一一号証の一乃至五)。

(四) 申立外斎藤俊吉(国立市中三丁目二番六号在住)ほか一五〇九名から、昭和四五年一月一〇日付をもつて東京都知事に対し歩道橋設置方陳情があつた(乙疎第一二号証)。

(五) 昭和四四年一二月一〇日ごろ、「国立大学通り歩道橋設置に反対する市民の集り(国立市中一丁目一七番九号川上静枝ほか八五三名)」から、東京都議会議長に対し国立市東四丁目歩道橋に反対する陳情があつたが、後、これを取下げた(市議会に陳情したもようである。)。

(六) その後、国立市立国立第三小学校長ほか四名(いずれも学校長)から、昭和四五年一月一〇日付をもつて東京都知事に対し、重ねて歩道橋設置促進について陳情があつた(乙疎第一三号証)。

(七) 次いで、「国立高校前通学路利用児童父母有志」から、昭和四五年二月二一日付をもつて東京都知事に対し歩道橋設置促進方陳情があつた(乙疎第一四号証)。

(八) 昭和四五年三月一三日、「国立高校前通学路利用父母代表(代表者斎藤マコトほか一名)」との間において、横断歩道橋設置の問題に関し妥協点をみつけたとして確認書(疎乙第一五号証)が作成され、その後、同確認書と横断歩道橋設置促進の陳情書(作成者右斎藤マコトならびに市民有志松岡キク)が、東京都知事に提出された(乙疎第一五号証ならびに乙疎第一六号証)。

(九) 次に、昭和四五年三月一二日付をもつて、国立市議会議長から東京都建設局長あて歩道橋設置促進に関する決議の送付があつた(乙疎第一七号証)。

右決議においては、市民等から提出された請願を採択したとして、東京都に対し、すみやかに本件横断歩道橋を設置するよう要望している。

(一〇) その後、昭和四五年五月二九日付内容証明郵便をもつて本件横断歩道橋設置に反対する「国立の町づくりを考える会」(国立市東三ノ二山辺賢蔵(本件申立人らのうちの一人である。))から東京都知事に対し、公開質問状が提出された(乙疎第一八号証)。

これに対し、東京都建設局道路部長は、知事の意向を確認のうえ、昭和四五年六月二七日本件歩道橋は、設置基準に適合するので、これを設置する旨電話で右発信人に回答した。

第二申立人らの本案訴訟は不適法である。

一 (処分性がない)

(一) 申立人らは本案訴訟の請求の趣旨において「被告が、昭和四五年四月二八日、東京都国立市東四丁目三〇番五号、同番六号先歩道から別紙図面記載のとおり、その向う側歩道に横断歩道橋を架設する旨決定した処分」の取消しを求め、本件申請において右処分に基く歩道橋架設工事の施行停止を求めているところ、申立人が取り消しを求める昭和四五年四月二八日付の処分は、如何なる行為をいうものか必ずしも明らかではないが、訴外東京都北多摩建設事務所長中村敏夫がなした本件歩道橋架設工事についての「起工」をいうものと考えられる。ちなみに同日右の外何らの処分らしきものは存在しない。

しかしながら、右の行為は、被申立人の内部的意思決定であつて外部に対し意思を表示したものではなく、従つて抗告訴訟の対象となる処分ではない(乙疎第七号証)。およそ抗告訴訟の対象となる行為は、法が認めた優越的地位に基き行政庁が法の執行として行なう公権力の行使にあたる行為をいうものであり、それによつて国民の具体的権利義務に直接変動を生ぜしめるものでなければならないとされているが、申立人らの取消を求める行為は単に行政機関の内部における意思決定にすぎないものであつて、抗告訴訟の対象となる処分ではない。

(二) かりに申立人らの取消しを求める行為が、被申立人の内部的意思決定に基き施行される事実行為たる工事自体であるとしても、抗告訴訟の対象となる事実行為は、人の収容や物の留置のように、特定の行政目的のために国民の身体・財産等に対し直接実力を加え、もつて行政上の必要な状態を実現しようとする権力的行為でなければならない(例えば行政上の強制執行)。これに対して、道路工事、河川工事等の事実行為は、原則として抗告訴訟の対象となる事実行為にあたらないと解され、実定法上これを行政処分に準ずるものとして取り扱つている場合(道路法第六六条参照)についてのみ処分性があるということができるものである(杉本良吉「行政事件訴訟法の解説」一二頁参照)。

ところで、歩道橋の架設工事は、既存の道路の構造をより効率的にするために行う道路の改良行為にすぎないものであつて、直接申立人らに対し新たに財産・身体等の侵害を加えるものではない(広島地裁昭和四四・三・一九民事一部決定・判例時報第五七一号四四頁)。そうとすれば本件歩道橋の架設工事自体についてその取消しを求めることは不適法といわなければならない。

二 (訴えの利益がない)

次に訴の利益についていえば、一般に、歩道橋架設地点の前面居住者が、当該歩道橋の架設工事によりその出入等に不便、不都合を感ずることがあるかもしれないが、右不便ないし不都合は事実上の不利益たるにとどまり、法律上の不利益ということはできないものである。

のみならず申立人らは、本件歩道橋の架設予定地の前面に居住するものではなく(乙疎第一九号証)、かつ本件横断歩道橋の架設工事によつて直接申立人らの個人の権利・自由について侵害をうけ又はうけるおそれがあると主張するものでもなく、単に一般的かつ抽象的な地域的環境の保全を主張するにすぎないのである。

がんらい、抗告訴訟は主観的訴訟であつて、機関訴訟や民衆訴訟のような法規の適用の適正又は一般公共の利益の保護を目的とする訴訟ではなく、あくまでも個人的な権利利益の保護救済を目的とするものである。申立人らは、本案の訴状において「文教都市としての風致美観に対する原告ら住民の生活環境並びに現在及び将来に亘る同人らの期待的意識の侵害」といい(第二の(3))、又、「歩道橋設置反対の市民運動」である(第二の(5))としていることからも明らかなように、申立人らの法律上保護に値いする個人的権利ないし利益の侵害を主張するものではないのであるから、この点からみても本案訴訟は不適法である。

第三本案について理由がない。

以上述べたとおり、申立人らの主張がかりに事実行為たる本件横断歩道橋工事の取消しを求めるものとしても後に述べるとおり被申立人の右工事は適法であり、申立人の主張はすべて失当であることは明らかであるから、本件申立ては本案について理由がない場合に該当するといわねばならない。

第四回復困難な損害およびこれを避けるための緊急の必要性がない。

一 申立人らは、本件横断歩道橋が設置されることにより本件都道(いわゆる国立駅前大学通り)が幹線道路化し、自動車の交通量が増大し、そのため排気ガスの量が増大することになり、街路樹を死滅させその結果風致美観を害することになると主張し、そのことをもつて回復困難な損害であるとしている。

二 ところで、本件都道は国立駅前を起点として、谷保駅前を終点とする巾員約一八メートル、延長一、八〇〇メートルの道路で国立駅前より本件横断歩道橋が設置される場所の南方向一七〇メートルの付近まで、本件都道の両側に申立外国土計画株式会社の所有する緑地帯があり、この緑地帯に申立人らのいう街路樹が植えられている(植樹者は右申立外会社の前身である箱根土地株式会社である。)。

さらに、緑地帯をはさんで市道が前記付近まで併行して設置されている。そして本件都道のうち、国立駅前より前記付近までは都市計画道路として巾員を四四メートルにする計画があるが、その延長部分にはなんらの計画決定もされていないのである。

従つて、申立人らの主張するように本件都道が他の幹線道路に直結し或いは、幹線道路化されるということはないのである。

そうとすると本件横断歩道橋の設置が直ちに、本件都道を幹線道路化し、或いは幹線道路化に伴い自動車交通量の増大をもたらすとは到底考えられない。

三 また、申立人らは、本件横断歩道橋の設置は自動車の速度の増大をきたし排気ガスの増大をまねくとするが、本件横断歩道橋の設置場所の北側二〇〇メートルと南側三〇〇メートルには信号機が設置されているのであるから、このことをもつて直ちに自動車の速度の増大をもたらすものと考えることはできない。なお、排気ガスの点について、被申立人の調査したところによると自動車が排気ガスを排出する最大量はアイドリング(停車していてエンヂンを動かしている場合、例えば信号待ち)の場合で時速四〇乃至五〇キロメートルの場合が最も少いとされている。

従つて、交通量が同一の場合本件横断橋の設置により自動車の流れがスムースになり、むしろ申立人らの主張とは逆に排気ガスの量は従来より減少することになるのである。

四 先に述べたとおり、前記申立外会社の所有する緑地帯にある樹木は同会社所有のもので、被申立人は本件歩道橋の設置工事に先立ち、その伐採について申立外会社の了解をえているのであり(乙疎第二〇号証)、申立人らがあたかも右街路樹の所有権が国立市民にあるかの如き主張をしているのは全く論拠がない。

五 さらに、回復困難な損害の有無は、本案の理由の有無と別個独立に判断されるものでなく、両者はともに密接な関係を有するものとして総合的に考慮すべきであり、従つて本案に理由がないことのがい然性が大きければ、損害はないものと判断すべきである(広島高裁岡山支部昭和二六年二月七日行集二巻二号二四二頁、甲府地裁判昭和二五年一〇月二五日行集一巻八号一一八九頁)。

そして、申立人らのあげている排気ガスによる街路樹の枯死の結果生ずる風致美観の損害は、申立人らが蒙むる具体的な損害ではなく、(自動車の増加に伴う排気ガスの増大は歩道橋の設置と無関係である。)単なる主観的感情にすぎないのであつて、本件横断歩道橋の設置に伴う直接の損害については申立人らはなんらの立証をしていない。

六 また、かりに、本件横断歩道橋設置工事によつて申立人らになんらかの損害が生ずる場合があるとしても、それはとうてい回復困難な損害とはいえない。すなわち本件の場合かりに本件横断歩道橋設置工事による直接の損害が生じたとしても別途その責任を損害賠償として請求することが可能である。(同趣旨最高大昭和二七年一〇月一五日大判民集六巻九号八二七頁、例集三巻一〇号二三〇頁、名古屋高判昭和二九年一一月一一日例集五巻一一号二七六頁)。更に本件歩道橋はいわゆるプレハブの組立式であるからかりに申立人らが本案訴訟で勝訴すれば短時間に簡単に撤去可能なのであり、原状回復は容易である。また本案訴訟の期間本件歩道橋が存在すること自体が申立人らに回復困難な損害を生ぜしめるとはとうてい考えられない。

第五本件執行停止は、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある。

一 大都市における交通事故、特に、人身事故の発生率は年々増加していることは公知の事実である。

このような点から、事故防止の施策として、被申立人は、国立市長、国立市議会、及び前記通学路利用児童の父母等の要望により本件横断歩道橋を設置することとしたものであり、すでに述べたとおり、現に児童の登、下校時には、PTA等地元住民が毎日交通整理にあたり、官民一体となつて事故の発生を未然に防止しようとしているのである。

ところで、本件都道においては、申立人らの主張する道路の幹線化とは全く無関係に、通過交通量は他の幹線道路に比較してとくに多い方ではないが、近年、付近住民の自動車の保有率が年々上昇しているため急速に交通量が増加し、交通事故発生の危険性が増大しつつある。

そして、交通事故が発生すれば、勿論、加害者及び被害者にとつてその損失ははかりしれないものがあるばかりでなく、すくなくともその政治的責任は、道路管理者たる都もしくは市に問われることともなるものであつて、この点からみても、これらの事故に対する予防的措置としても本件歩道橋の設置が急がれているのである。

かりに申立人らの本件申立てが容れられ、停止決定があつた場合においては、本件歩道橋設置地点周辺の住民とくに学童幼児らの交通安全が害されるばかりでなく、全都的ないし全国的な影響が大きい。すなわち、昭和四五年度において東京都が設置する予定の横断歩道橋五一橋中の他の歩道橋についても、申立人らと同じく、単に一住民たる地位において歩道橋設置工事の執行停止を求めるほか、単に自己の主観的事情のみによつて同様の申立てをしてくることは明らかであり、他の歩道橋の設置に障害を及ぼしひいては、住民の生命、身体に危険を及ぼすことは明らかであつて、公共の福祉に重大な影響を及ぼすことになるといわざるをえない。

第六本件横断歩道橋架設工事の適法性

申立人らは、本件横断歩道橋架設工事は、一、交通安全事業法(申立人らのいう緊急措置法)に違反し、二、不必要な横断歩道橋を設置するもので裁量権を踰越し、かつ環境権を侵害し、従つて、三、公金の違法支出行為であると主張するものであるが、右主張は次に述べるとおりすべて理由がない。

一 交通安全事業法違反の主張について

申立人らの主張は要するに交通安全事業法が歩道橋の設置について定める要件は、道路における1.事故多発2.設置の緊急性であるところ被申立人の行為は、これらの要件を欠くものであるというものである。しかしながら交通安全事業法は、緊急に交通の安全を確保する必要がある道路について、総合的な計画のもとに整備事業を行ない、交通事故の防止を図ろうとするものであつて、現に交通事故の多発している道路はもとより、総合的計画により交通事故の多発のおそれある道路についても緊急にこれを整備しようとするものである。そしてこの目的のもとに交通安全事業法および通学路法(これは、昭和四四年三月三一日廃止されるとともに、現行交通安全事業法の中に実質的に取り込まれることになつた。)が制定されたことは、すでに述べたとおりである(第一の一、二、)。

そして横断歩道橋の架設は、一般歩行者の横断を目的とするもの、信号、交差点に設置する立体横断施設及び学童の横断を目的とする横断施設の三種があるが、本件横断歩道橋は、学童の横断を目的とする通学路に係る事業として昭和四四年五月三一日申請のとおり一〇月九日建設省告示第二号をもつて通学路に該当する道路の区間内で実施する整備事業として指定されたものである(乙疎第二一号証の一乃至三)。

ところで申立人らは歩道橋の設置基準たる「立体横断施設設置要領」によれば、学童の横断を目的とする立体横断施設は、「ピーク一時間あたり横断者が一〇〇人以上」であるにもかかわらず六五名程度であるとしているが、これは事実に反するものである(乙疎第二二号証の一乃至四)。

すなわち、横断者とは、当該横断歩道橋を横断する者全体をいうものであつて、学童、幼児に限定する根拠はない。すなわち通学路にあつては、一日につきおおむね四〇名以上の児童等があれば、国は積極的にその設置費用の補助をし整備を促進することとしているものであり(交通安全事業法第一〇条、同法施行令第四条)、このことは、一般に学童らが常に交通事故の危険にさらされていることから事故の発生するおそれのあるものとして、未然にその事故を防止しようとする趣旨に基くものである。そして本件横断歩道橋設置地点の学童幼児横断数は、後に述べるとおり一日八〇回以上にのぼるのである。従つて申立人らの主張のごとく交通事故が多発した事実がないということから直ちに緊急性もないと結論する論理は全く筋違いである。

すなわち、学童、幼児の道路横断については常に事故発生のおそれがあるものであり、一地点における学童の横断者数が四〇名を超える場合は、緊急に措置を講ずべき必要性があるといわなければならず、このことは、人命尊重の理念から当然であり、行政の志向すべき当然の方針といわなければならない。

ちなみに大学通りの本件横断歩道橋建設予定地においては、国立市立第三小学校PTAの会員たる地元住民が登校時において自主的に交通整理を行なつている事実からみても、本件横断歩道橋設置が地元関係住民にとつても緊急のものであることは明らかである。

二 権限踰越と環境権の侵害の主張について

(一) 本件横断歩道橋の設置は、学童、幼児の交通事故を未然に防止し、その生命を守るための緊急の措置であることは前述のとおりであるが、更に、地元国立市から、歩道橋の設置方について要望があつたこと(乙疎第一〇号証及び乙疎第一七号証)、地元住民の建設促進の陳情があつたこと(乙疎第九号証、乙疎第一二号証、乙疎第一三号証及び乙疎第一四号証)等を考慮し昭和四五年度交通安全施設等整備事業として設置することとしたものであり、又、後に述べるとおり何ら違法なものではなく裁量権を踰越したものでもない。

(二) 本件横断歩道橋の設置場所の決定については、すでに述べたとおり(第一の三参照)地元国立市からの要望を基礎とし、国立市と協議のうえ決定したものであるから、この点からみても裁量権を踰越したものではない。

(三) 更に申立人らは、本件歩道橋の設置場所は、自動車交通量がさほど多くなく事故の多発地帯ではないので、歩道橋設置の必要がないのにかかわらず設置するものであると主張するが、被申立人の調査(昭和四四年一一月一五日調査、乙疎第二二号証の一乃至四)によれば、午前七時三〇分から午前九時までの間において合計一八四一台の自動車交通量があり、特に学童の通学時としての午前八時以降をとつてみても一二五九台となつている。そして本件箇所の横断歩道を午前八時以降一三五人が通過し、うち学童、幼稚園児は四一人である。(従つて学童、幼児の横断数は、一日往復八〇回以上となる。)

なお、昭和四五年六月八日の国立市立国立第三小学校奥山教頭に対する被申立人職員の電話による調査によれば、学童八三人が通過している事実があるのであつて、申立人らの主張は事実に反するものである。

(四) また、申立人らは、本件横断歩道橋設置については、関係住民の意思を無視したものであると主張しているが、この主張もまた理由がない。

すなわち、すでに述べたとおり、被申立人は、国立市民の意思を代表する国立市議会および国立市長からの要望をうけ、また同市内の学校長らから、直接、再三にわたり、本件横断歩道橋の設置について陳情をうけ、本件工事を施行することに決定したものであつて(本件横断歩道橋の構造も階段式からいわゆるスロープ式としたものである乙疎第二三号証。)、申立人ら一部の住民を除く住民の多数は児童生徒の通行の安全や生命を守るため、すみやかに工事を施行するよう切実に要求しているのであるから、被申立人が関係住民の意思に反し、もしくは意思を無視したものであるとする申立人の主張は全く理由がない。

(五) いわゆる環境権の侵害の主張について。

申立人らは、本件横断歩道橋の設置は、憲法第二五条に基く環境権を侵害するものであると主張するが、右憲法第二五条はいわゆるプログラム規定ともいうべく、具体的な内容をもつ請求権を賦与するものでない。

そして、右規定は、国家が国民一般に対して、健康で文化的な最低限度の生活を保障する責務を負担し、これを国政運営上の任務としたものであつて、右規定により直接、個々の国民が国家に対し具体的現実的にかかる権利を取得するものではない。

ところで、申立人ら主張の環境権なるものが如何なるものであるか判然としないが、環境権なるものは未だわが国において法上確立された概念ではない。そして、申立人らが主張する各種の侵害なるものも、単なる一般的抽象的なものであり、かつ単なる予測される事実ないし危惧にすぎないといわなければならない。

さらに、申立人らは通称大学通りにおける樹木が排気ガスにより被害をうけるとしているが、これとてもその所有権管理権等が申立人らに属するものではなく、申立外国土計画株式会社の所有にかかるものであつて、申立人らとは直接法律上の利害関係がない。

しかるに、かかる第三者の所有権ないしその他権利と申立人らの主張する環境権なるものとの相互関係について、申立人らの主張はないのであつて、単なる未だ申立人らの主観的感情に反するということを主張するにすぎないであつて、何ら理由がない。

三 公害防止条例に違反するとの主張について。

申立人らは、本件横断歩道橋の設置が、東京都公害防止条例第二条の規定に違反するものであるとしているが、右条例第二条は「知事はあらゆる施策を通じて公害の防止に努めることにより、良好な生活環境を保全し、もつて都民の健康で安全かつ快適な生活を確保しなければならない。」としているものであつて、児童生徒の生命を守るため、都市における各種施設を整備することもまた被申立人の責務である。

ところで、本件横断歩道橋の設置も幼い命を交通戦争から守り安心して通園、通学を行なえるように配慮した施策の一つであつて、これをなすことが同条例にいう被申立人らの責務に反するもので違法であるとするのは、申立人らの独断というほかはない。

四 違法支出行為であるとの主張について。

申立人らは、本件横断歩道橋の設置は、申立人ら主張の権利を侵害するものであるにかかわらず約一九〇〇万円の支出を伴なうものであり、公費の違法支出であると主張するが、すでに被申立人が述べたごとく、本件横断歩道橋の設置は適法なものであつて直接申立人らの権利で利益を侵害するものではないのであるから何ら理由がないといわなければならない。

第七以上のとおりであるから、本件申立ては却下さるべきである。

別紙図面〈省略〉

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